肯認学が教えてくれた自愛の本質──感情の底から浮かび上がる力

目次

自愛が難しい人へ──肯認学が導くやさしい癒し

わたしが「肯認学」を心から愛している理由と、
そして、なぜこの学びを、日本中、そして世界中の人に知ってほしいと願っているのかについて記していきたいと思います。


わたしは幼い頃、いわゆる「機能不全家族」で育ちました。
いま振り返れば、アダルトチルドレンだったと思います。

父の借金で家を追い出されたり、母が夜仕事に行くので、一人っ子の私は真夜中まで1人で留守番したり、
その後、両親の離婚、父親の病気、そして父親の死。

結構大変だったんじゃないかなって思うんですが、
育ったのが市営住宅の大きな団地で、片親の家庭も多く、当時はそれが特別だとは感じませんでした。

だけどその寂しさと、安心感のなさは、知らない間にわたしの中で育っていったんですね。

そして、いつの間にか「どうしてうちは普通のお家と違うんだろう」って、普通ではない自分を隠し、よく見せようとしていました。

そして、いつも誰かと比べてしまうようになっていたんです。
心が安らぐ幼少期ではなく、いつもどこか緊張していた記憶があります。


自己否定の中で生きるということ

そんな環境の中で育つと、「軽やかで自己肯定感の高い大人」になるのはなかなか難しいものです。
気づけば、考え方はネガティブな方に傾き、「やっぱり探し」をしていました。

「やっぱり私は人とは違う」
「ほらね、うまくいかない」

そんな“正解探し”をしてしまうのは、実は脳の仕組みなんですね。
ネガティブであっても「当たった」と感じると、脳はそれを嬉しいと感じる。
そうして、無意識のうちに「やっぱり私なんて」と証拠集めを始めてしまうのです。

それが積み重なると、自愛はますます難しくなります。
「親に大切にされなかった気がする」「わたしには価値がない」──
そんな思い込みの中で、自分を大切にする感覚がわからなくなっていきます。

そしてさらに、こんな苦しい状態は物凄いことが起きないと「挽回」できない気がする!という、
「ゼロサム思考」になります。

ほんのちょっとの愛や豊かさじゃ挽回できないから、満足しないんですね。
そして、「そんなちょっとならいらない!」っていう思考に傾いてしまいます。

この思考パターンが続いているときは、本当に辛いんですね。
世界中で自分だけが苦しい気がする。

でも、本当は、愛は確かにそこにあったんです。
住む家もあった、着る服もあった、食べるご飯もあった、ひもじい思いをすることは1、2回しかありませんでした。
誰かが、どこかで、ちゃんと手をかけてくれていた。
ただ、私たちは「なかったこと」「苦しかったこと」に目を向ける癖があるだけなんです。


感情に飲み込まれる苦しさ

このような、幼少期の問題を抱えたままで(すっかり忘れてしまっていることもあります)、
自愛を知らないまま過ごしていくと、心はさまざまな反応を起こします。

我慢ができなくなったり、無価値感に苦しんだり、欠点を隠そうとして嘘をついてしまったり。
あるいは、失敗が怖くて動けなくなったり、不安を紛らわせるために忙しくしすぎたり──。

でも、それはどれも、自己防衛なんです。
そうでもしなければ、生きていけなかったから。

心理学のワークショップでは、その苦しい感情も含めて、「今浮上してきた感情を感じ切ってください」と言われることがあります。
「感情に飛び込みましょう」「感情を味わいましょう」とかです。

けれど、その苦しみの正体がわからないまま、「感情に飛び込め」と言われても、怖くて当然なんです。
だって、飛び込んだ先で誰が抱きしめてくれるのか、誰が受け止めてくれるのか、わからないのですもんね。

あの苦しい思いをまた感じるのは、まっぴらごめんだからです。


プールでの体験──感情の底をつくということ

ある日リゾート地へ、ちょっとしたツアー旅行をしました。
美しい入江があることが有名な場所で、他のメンバーは、その島へ船で向かっていきました。
船酔いが怖かったわたしは、ホテルに残ったんですね。


むっちゃ優雅に過ごしてやろう!って思いまして、
ビーチでゆっくりしたり、マッサージをしてもらったりと、静かな午後を過ごしてたんです。

毎日ビーチで遊んでたので、たまにはプールに入ってみようって、プールサイドに行ったんですね。
足をそっと水に入れて、飛び込んだ瞬間
──気づいたら、底が見えないほど深かったんです。

「やばい」と思いながらも、どうにも足がつかない。
息は苦しく、どれくらい深いのかもわからない。
必死にバタ足しても浮かべない。

それでも、なんとか水面に顔を出して酸素を吸い込んだ瞬間、近くの外国人老夫婦が心配そうにこちらを見ていました。
その顔を見た途端、またスーッと水の中に吸い込まれ、本当に「溺れる」ということを体で理解しました。

必死に斜め上(浅い方)へと泳ぎ、ようやく浅瀬にたどり着いたとき、
息は荒く、足も震えていました。
あとで知ったのは、そのプールの深さが6メートルもあったということ。
(スキューバーダイビングの練習用プールだったそうです)

──あのとき感じた恐怖。
まさに、感情の渦中にいるときの苦しさと同じだったんですね。

底に足がつかないと、人は簡単には浮上できません。
溺れている時は、どっちが上でどっちが下かがわからないからです。

底がどこにあるのかわからないまま、ただもがいているとき、それは本当に苦しいんです。
「もう無理」と思うその瞬間に、ようやく底に触れ、底をキックして、上がってこられるんです。

「感情を感じ切る」、「味わう」というのは、底をキックする作業にとても似ていると思います。


肯認学が教えてくれた「底をつく勇気」

肯認学では、この“感情の底”さえも、愛をもって見つめます。
どんなネガティブな感情も、過去の出来事も、「自分を守ってくれていた大切なもの」として扱うんです。

だから、排除しない。
否定しない。

肯定して、認めて、癒して、慰めて──全部愛する。
それが肯認学の「自愛」です。

そして、この自愛を実践するためにあるのが「LOVABLEセッション」。
辛い感情を他人に委ねず、いつでも自分で解放できる方法です。
真夜中に苦しさが込み上げても、自分でそのエネルギーを癒せる。
自分で、自分の心を守れる。

これが、自愛の本質なんだと思っています。


自分を愛することは、世界を愛すること

自愛が進むほど、心の筋力が育ちます。
ネガティブな感情が出てきても、「ああ、もういらないな」と気づけるようになる。

転けてしまって、泣いてしゃがみ込む子供に「何泣いてんの!早く立ちなさい!」って言っても、
子供はさらに悲しくなってしまいます。

でも、「痛かったね」「もうちょっと休んでようか」「歩けるようになったら行こうか」って、
こうやって優しく寄り添ってもらえれば、その子供は転けることが怖くなくなります。
転けてもまた元気に立ち上がって、好きなことをしに走っていけるんです。

自愛というのは、もう一度自分自身を最大級の愛を持って育て直すことに似ています。
そしてそれは、脳の仕組みを理解して、潜在意識にやさしく語りかけていくようなものです。

肯認学を学ぶと、あなたの中の「心の土台」が少しずつ安定し、育っていきます。

そしてさらにその上で、「LOVABLE エナジー」を通して、パートナーや子ども、ペット、おうち──
すべてにヒーリングを広げていけるんです。

自分を大切にするように、世界を愛する。
そうすると世界がよってたかってあなたを愛し始めます。
そのやさしい循環が、自愛の先にあると感じていて、この自愛を全ての方へ届けたいと思ってます。


今日のポイント

今日という日に、あなたが受け入れたい感情はどんな気持ちですか?
どんな痛みもあなたを守ってきてくれたんだなって感謝して、やさしく抱きしめながら過ごしてみてくださいね。
(見つけて感じたら、手放せますよ)

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